「どんなときも」が聞こえた1991年の夕方
1991年(平成3年、小1の頃、学校の帰り道、友達と遊んだ帰り道、塾の帰り道、
放課後の夕方のガソリンスタンドからよく聞こえていたこの曲。
どんなときも~、どんなときも~♬♪
槇原敬之さんが歌う「どんなときも」です。
1991年(平成3年)の大ヒット曲です。
この曲を聴くと何となく胸が切なくなるというか、前向きだけど少し切ない
そんな微妙なニュアンスが槇原さんの声とメロディーと歌詞に表現されているように思います。
この時代の私のイメージは『灰色のコンクリートの夕方』という感じです。
日本の経済はバブルで一度、頂点に立ち、1989年と1990年(平成元年、2年)とピークにありました。バブル崩壊はいつ起きたかというのは諸説あるようですが株価が下がり始めたのが1991年(平成3年3月ごろから)からはじまり、景気後退の自覚を持ち始めたのが1992年(平成4年頃)だと思われます。
昭和からバブル期まで日本は経済成長を続けていき、特にバブル期は浮足立った異様な雰囲気があったのかもしれません。しかし、1991年(平成3年)というのは何となく人々が現実を見はじめたとき。少し後ろを振り返ったり、夢から覚めた時かもしれません。
この槇原敬之さんのどんなときものPVの中では社会にもまれながら頑張る当時の若者の姿がうつしだされています。彼らの中にはきっと夢と現実の世界のギャップに苦しんだり、つらい修業期間を過ごし一生懸命涙をのみながら働いていた人もいたかもしれません。
何となくこの年にはそれまでのバブル的な浮かれた雰囲気から、そういう現実の痛みや葛藤にも注目をし現実的な世界観が歌に現れだした年だったような気もします。だから余計に共感を呼びヒットにつながったのかもしれません。
『灰色のコンクリートの夕方』のこのコンクリートの意味は、私たち昭和後期の生まれの世代にとって初めて見た世の中の景色はアスファルトで塗装された道路、鉄筋コンクリートなどのビルなど少し無個性の建物が多い時代に育っているという気がしています。例えば私の母の世代の学校の校舎は木造だったそうです。やがて母が卒業する年に木造校舎は取り壊され鉄筋コンクリートの校舎に変わったそうですが、真新しい鉄筋コンクリートの校舎に新鮮さとうらやましさを感じたそうです。昭和当時は現代的で都会的なものの象徴としてコンクリートの建物が存在していたのかもしれません。しかし、平成に入るとそんなコンクリートの建物にも汚れが目立ち始め、ひんやりと冷たくむなしささえ感じるような特に物珍しくもない存在へと変わってしまったように思います。
1991年(平成3年)はそんな昭和の夢が徐々にむなしく過去のものになっていき、現実の厳しさをたたきつけられている若者の葛藤が「どんなときも」に凝縮されてる様な気さえします。
しかし絶望的ではなく温かさとか、みんなで頑張ろうという励ましも感じられます。
疲れたときに、ぜひ聞いてみてください。